奇をてらうわけでもなく、
たんたんとたんたんと書いていく。
たんたんとたんたんと書かれた言葉の中に
やわらかさとやさしさと
ちょっぴりのユーモラスが
ほのかに感じられて
「これ好きっ!!」じゃなくて
「なんだかこの文章好きだなぁ」って思われる。
そんな文章を書くことができるようになりたいなぁ。
ファシリテーションと赤毛のアン
5年くらい前からファシリテーションということに興味を持っています。
ここ2、3年で2つのタイプのファシリテーション講座を受講しました。
1つは、いわゆるノウハウを学ぶような講座。
話し合いの場で、合意形成や相互理解を促したり、
あるいは混沌としたやりとりを整理したり、
そこから何か方向性や考え方、やり方などを見つけていく、
その方法の概要を教えてくれたような、
あくまでも概要なんですが、そんな講座でした。
もう1つは、前に少し書いた、これ自己啓発講座じゃないの?っていうような、
ノウハウではなく、ファシリテーターのあり方を問うような講座でした。
私自身は、あがり症で、人前で話をすることが苦手なのですが、
ファシリテーションということ自体にはとても関心があり、
そのためのプログラムをつくることにさらに関心があります。
2つのタイプの違う講座を受けてみて思うのは、どちらも面白く、
学びをいただいたと思っていますが、
私のかゆいところに手が届かなかったということです。
これは、講座の内容の問題ではなく、私自身の問題ですね。
それはさておき、2つのタイプの講座を受講した結果、
思ったのは「なんだか大切なことは『赤毛のアン』な気がする」ということです。
私は『赤毛のアン』の愛読者でもなんでもないのですが、
とっても好きな箇所があります。
それは、喉頭炎になった友達の妹をアンが看病する話の中の一場面です。
両親が遠くにお出かけしている時に妹が熱を出し、
どうして良いかわからずアンに助けを求めたダイアナ。
アンがダイアナの家に駆けつけると、お手伝いさんはおろおろするばかりで、
お湯のひとつもわかしていなかったという状況。
それを目にしたアンが言います
「あなたの気を悪くはしたくないけど、あなたに少しでも想像力があったなら、
こんなことはもうとっくの前に気がつくはずだと思うわ」
正確ではないと思いますが、このシーンが好きで、ふとしたときに思い出します。
タイプの違うファシリテーションの講座を受けて、
「で、結局大切なことってなんだろう」と考えてたときに、
「あの時のアンのいう想像力なんじゃないのかなぁ」と思ったわけです。
目の前に熱を出している人がいて、その人に今何が必要なのかを想像できる力。
当たり前のようでいて、それができていない場合も結構あるのではないかと
自分自身のことを考えてみて思います。
ファシリテーションということについても、
根底に必要なのは、そんな想像力なのではないかと思ったわけです。
そう考えながら私のまわりを見まわしてみると、
創業とか、起業とか、働き方云々とか、イノベーションとか、
そしてファシリテーターとか、
時代を彩るようなキラキラした言葉が飛び交っています。
キラキラした人達が人生を謳歌し活躍しているようにも見えます。
そんなキラキラを見て、素敵だなぁと思います。
同時に、なんとも言えない違和感を覚えます。
どうしてそんな違和感を感じるのだろうと思いめぐらせてみると
「あ〜、あの時のアンではないんだなぁ」と思いました。
大切なことが抜けているような、地に足がついていないような
そんな違和感だと思いました。
キラキラした場で語られるのは創造や創造力であることが多いのですが、
私は、そこに、赤毛のアンの想像力が抜け落ちているような、
大切にされていないような印象を感じていたわけです。想像力って、もしかすると人を謙虚にする、そんな力もあるのかもしれない。
ファシリテーションっの講座を受けて、赤毛のアンを思い出し、
想像力って大切だなぁと改めて思いました。
あれ?書いてたら棚卸し。
たまに顔を出すコワーキングスペースは、
いろいろな講座を行っているので、ごくたまに参加します。
そこで行われているのは、SNSの講座やブログ講座、ファシリテーションや
デザイン講座ほか。コワーキングスペースなだけあって、
創業を意識した内容になっているような印象があります。
先日、ひさしぶりにそこでの講座に参加しました。
私がこれまで参加したその場での講座は、
いずれも一方的に講義を受けるのではなく
必ず参加者同士の自己紹介時間や、講師からの問いに対する自分の考えを
ペアで意見交換するなど、ワークショップ的な要素が盛り込まれていました。
で、意見交換をしてみると、特に女性の場合、「幸せな女性を増やしたい」とか「人々を笑顔にしたい」とか、立派な目標をおっしゃる方が多く、
やる気がみなぎってる、自信いっぱいに見える人が多い気がします。
私はといえば、そんな立派な目標はなく、自分のふりかえりとか、
ちょっと学んでみたいなぁくらいな軽い気持ちで参加しているため、
そんな人達を目の当たりにすると、
すごいなぁと、ただただ圧倒されるばかりです。
考えてみれば、人見知りであがり症で、自分に自信がないために
いかせなかったチャンスもたくさんあったような気がします。
ある意味ギラギラした、自分をアピールできる人が眩しくてしかたありません。
反面、どうもそういうギラギラが苦手でもあります。憧れるけど苦手なんです。
ギラギラしないで自分をアピールできるようになりたいなぁ。
では、そのためにどうするか。
まずは、自分の棚卸しから始める必要があるんだろうなぁと思っています。
では、どんなふうに棚卸しをすればよいのか。。。
・・・と、ここまで書いて思い出しました。
先日受講したデザインの講座で、問われました。
「あなたの事業のコンセプトは何ですか?」
正直なところ、これを聞かれるのが一番困ります。
人様の、私以外の人の事業や云々のコンセプトを組み立てたり、発見したり、
整えたり、言語化する、そのサポートを行っている私の事業のコンセプトは、
コンセプトがないことです。色に例えると無色。
そんなふうに考えているところがあります。
あれ、もしかして、これってギラギラできていないことと
何か関係ありそうな気がするぞ。
もしや無色を意識しているからギラギラしないのか?!
そうなのか、自分?!
憧れているなんて書きながら、ギラギラになりたいなんて書きながら
心の底では、そうは思っていなかったということなのか?!
なぁんだ、そういうことかぁ。。。
と、このブログを書きながら腑に落ちました。
とんだ独り相撲な内容になっていますが、
今日1つ、自分の棚卸しができたような気になっています。
ブログを書くって、そんな効果もあるんですね。
人の本質を見ようとしたら自分を見つめ直すことにつながった。
ある方からご縁をいただき、現在、出版本の編集に携わらせていただいています。
実際に出版されるのは、まだまだ先の話です。
これまで、広報物の編集作業は経験ありましたが、
販売される本の編集というのは初めてのことで、
なんとも言いがたい高揚感があります。
本の内容はここでは差し控えるとして、
この作業を行っていくなかで、
とても不思議な感覚を覚えたので備忘録として記します。
編集ということは、例えば著者である方の考えにふれなければできません。
その方の考えや書かれているものを自分の中で咀嚼しながら、
どう組み立てるのが良いのかを考える。
もちろん私一人で考えるわけではなく、
著者の方とやりとりしながら、その方のお考えを前提として考えます。
もしかすると鳥の視点で俯瞰して、客観的にその方の考えや思いを受けとめ、
編集していくことが良いのかもしれませんが、
不器用な私は、どこかでその方に憑依するようなそんな感覚があります。
そのうえで客観視するという、そんな感じで作業を進めてきました。
著者の方のお考え、思いを深堀りする、そんな作業を繰り返していたのですが、
これがなぜか自分を深堀するというか、自分を見つめ直すことにつながったような気がしています。
自分ではない人格について考え、見つめていたのに
それが結果、自分を見つめ直すことにつながるとは、
作業を始めた当初は思ってもみませんでした。
結果、自分のダメなところ、無意識のうちにかぶっていた鎧や
ついてしまった垢のようなものがとれるような、そんな感覚を覚えました。
こういうのをメンタルブロックが外れたというのかしら。。。
3年くらい前に、ファシリテーションプロフェッショナル講座だったか、
そういうのを受けた時に、スキルではなく、あり方を問われ、
もはやこれはファシリテーション講座というより自己啓発講座ではないかとさえ
思うような内容で、自分の問題点をつきつけられました。
その時は、なんとなく感じたような、わかったような気がしていたのですが、
じつはぜんぜんわかっていなかったことを、今更ならが実感し、今になって、
あの時できなかったことができるようなになったような感覚を覚えました。
自分自身を問われ、自分を省みるように力を入れていたことが
逆に自分を頑なにしていたのかどうかわかりませんが、
自分以外の人の本音、本質に向き合おうとした結果、
それが自分と向き合うことになったとは、なんとも面白いなぁと思っています。
この編集という作業、苦しいですけど、とても楽しい。
もっともっとそういう仕事を増やしていきたいなぁと思うこの頃です。
井の中の蛙。
お酒は飲んでも飲まれるな。
今のところお酒に飲まれたことはないのだけど、
SNSに飲まれてはいけないなぁとつくづく思う。
なぜなら、SNSって開かれているようで閉ざされた場のように感じるから。
SNSの詳しい技術やアルゴリズムについて、私はほとんどわからないけど、
そこで繰り広げられるのは、自分が選んだもしくは自分が選んだ人に関連したものごとで、ある一部の限られた世界だと思う。
そんなこと言わずもがな、なのだろうけど、
それを自分の良いように勘違いしてしまうことって、
案外あるのではないかと思うのだ。
SNSの世界ではないが、
例えば、ある界隈で話題になったり、もてはやされたりすると
自分がまるで「できる人」になったように勘違いしたり、
自分がまちを、社会を動かしているような感覚に
陥ることもあるのではないと思う。
そういう人と実際に仕事をしてみると
「この人、全然できないじゃないっ!!」って残念に思うことがある。
もてはやされていることと仕事がキチンとできることは違うのだ、と、
つくづく感じている。
そんな時は、自分のことを棚に上げて「あぁ、井の中の蛙にならないでね」と、
祈る気持ちにすらなる。
今更感のある言い方をすれば、今は、インターネットがつながり、
日本だけでなく世界とつながることができるし、
個人がどんどん自分で自分を発信できる時代だ。
何かで突然話題になり、注目が一気に拡がることもある。
もてはやされて、人が集まってきて、
「自分が世界」と勘違いしてしまうことだってある。
だけどね、きちんと仕事ができる力がともなわないと、
一過性の流行として消費されてしまう結果になりかねない。
もてはやされている時こそ、そんな感覚を持っておくことが大切だと思う。
きちんと仕事ができる力とは、特別なことでもなんでもなく、
例えば、計画的に仕事を進めることができるとか、
チームで行う場合は「報・連・相」ができるとか、
そもそもその仕事の意図をキチンと理解できているとか、そんなことだ。
そういうことをおろそかにすることが重なると、
自分の信用を落とすことにつながったり、
相手にストレスを与えて
「あぁ、この人とは仕事したくないなぁ」という不満を生んでしまう。
トンチンカンなことを書いている気もするが、
今自分が見えている世界、自分が身をおいている場が全てではない、
という感覚を持っていたい。
自分を客観的に見るスタンスを忘れないようにしたい。
1トーン下げる。
私には、「宇宙で1番好きっ!!」という声がある。
その声を聴くとキュンとしてホッとする。
おそらくこの声以上に好きになる声はないだろうと思っている声。
例えばワインを語るソムリエのように、
この声がどんな声なのか言葉で表せないものかと思っているのだけど、
ほどよい言葉が見つかっていない。
そんなことはどうでも良いのだけど、
「やっぱり声って大切だなぁ」と感じる場面がちょくちょくある。
人に何かを伝える時。大切なことは3つあると思っている。
「誰が話すのか」「何を話すのか」「どう話すのか」の3つだ。
このうち「どう話すのか」でとても重要になるのが声だと思う。
でも、声って、もって生まれたものだから、どうしようもないよねぇ。。。
と、昨年まで諦めていた。
だけど、ある時、自分の声に関して気づいてしまった。
同じような人は多いと思うけど、
私には、どこかで自分を引いて見てる感覚があって、
夢中になって話したあと、
「あ~なんだか我を忘れて語ってしまった気がする!あぁ恥ずかしい。。。」
と思うことがある。そういうことが増えている気がする。
そのたびに「興奮しないようにしなきゃっ!」と思うのだが、
ついつい忘れて今日もまた興奮していまうしまつ。。。
だけど気づいてしまったのだ、自分の声に関して。
そうやって我を忘れて語ってしまっている時の私の声は
キンキンしているってことにっ‼衝撃だった!
余談であるが、私の母は、けっこ毒舌なところがあって、
テレビなどで女子アナが話しているのを聞いて
「このキンキンした声、この人きっとヒステリーよ」と時折言っているのだが、
ま・さ・にそのキンキン声を私は、出していたのだ!!
ついつい興奮して語ってしまう、そうならないために
キンキンした声を出さないよう、1トーン低めの声で話す癖をつけたい。
そうすると、少しは賢そうな印象になるかな?
あ、今年の目標がまた1つ増えてしまった。
正直なところ、
カタカナ言葉が苦手です。
事務所名がわけのわからないカタカナなのに、どの口で言うって感じですが。
マーケティングとかなんとかかんとか、いろいろなカタカナ言葉があります。
そういうのがとても面倒というか、かったるいというか。
便利だけどよくわからない、何事も難しく伝える手段みたいな印象があります。
なんだか仰々しく語られるのが苦手なんです。
何が大切って、結局のところ、ひらたく言えば、
その人の気持ちに寄り添っているか、
その人の気持ちを理解しようとしているのか、
ということだと思います。
カタカナではありませんが、集客にしても、広告にしても、
その人が何を欲しているのか、その人だったらどんなことが気になるのかなど、
人の気持ちに寄り添う、人の気持ちを考える、
すべてそこからなのだと思うのです。
これは、どんな職業でも基本にあることで、
仕事でなくても、家族や友達との関係でも、
あるいはアイドルとファンの関係でも←いきなりw
自分の好きな人のことだと、あぁでもない、こうでもないと
真剣に、必死に心で考えるのだけど、
ついうっかり人の気持ちを横において、頭だけで考える。
そんな罠におちいらないよう、
冷静と情熱の隙間を行ったり来たりしながら←なんだか聞いたことあるフレーズw
人肌感を大切にしてきたいと思った1月2日3日4日なのでした。←3日もっ!
今年のモットーみたいな。
昨年リニューアルスタートしたこのブログですが、
肩に力が入りすぎて、全然更新できませんでした(汗
今年は、本来の自分に戻って、
よしなし事をコツコツと書いていこうと思っています。
2017年は、私にとって「自分ができることは何だろう?」と
自問した1年でした。
結局結論は出なかったものの
「もしかして私はこういうことが好きなのかもしれない」
ということを感じた年でもありました。
自分の仕事を言葉にすると、
「コンセプト・戦略の設計サポート、戦略の見える化、暗黙知の言語化だ!」と
自分の中で腑に落ちたのが一昨年。
そして昨年の年末近くに、
編集と文章を書くことが面白い!と改めて感じたしだいです。
それらの作業は、絡まった糸を解きほぐしながら、
バラバラになったパズルを1つずつ丁寧に組み立てて、
そこに必要な言葉を加えていく感じ。
いや違うなぁ。
手織りでコツコツと模様を織っていく、そんな感触が私にはあります。
ものづくりにとても憧れる気持ちがあるけど、ものづくりはできないから、
自分なりのものづくりとして捉えているふしもあるのかもしれないなぁ、
なんてお正月に思いました。
今年は、今まで以上に1つ1つのお仕事を愛おしみ、
大切に楽しみたいと思っています。
個性はあとからついてくる…。
密かに感じていたコンプレックス
フリーになりたての頃、私のまわりには個性の強い人たちがたくさんいました。
今でももちろん個性の強い人たちはまわりにいるのですが、
今はそれが気にならない。
でも、フリーになりたての頃は、個性の強い人たちのことが気になって気になってしかたかなった。正確に言えば、そんな人たちに対してコンプレックスを感じていました。
勘違いしていた。
個性の強い人たちに比べて、私のなんと平凡なことか。
彼らのそばにいると、自分の平凡さを思い知らされる感覚があったんですね、当時は。今になってみれば、なんとバカバカしい話です。
当時をふりかえると、そもそも「個性が強い」ということを勘違いしていたふしがあったように思います。
毒舌をはく人、横柄な態度の人、物怖じしない人、自信満々の人、奇をてらってる人、そんな人を個性が強いと勘違いしていたんです。バカですねぇ。ほんとうにバカでした。
開き直り。
いつだったか、そんなバカげた勘違いをしていることにフッと気づいた時から、長年感じていたコンプレックスにたいして開き直ることができました。
個性がないとは言わないけれど、個性が弱い自分も含めて自分なんだという開き直りができたというか、そんな自分を許せるような気持ちになりました。
まあね、どんなにあがいても、自分以上にはなれませんから。
個性的でなくてもいいや、みたいな開き直りだったのかもしれません(笑)
気づかないうちに育つ個性
ところがです。
あるときに、なにげに人から言われました。
「○○○さん(私のこと)のつくる企画書って、○○○さんっぽい」って。
自分では気づかないうちに、私がつくるものには、人からみた私らしさみたいなものが醸し出されるようになっていたわけです。
これが個性なんだ!!と目からウロコが落ちた感じがしました。
いつだったか、伝統芸能の御大のお話を伺った時に、
「若い人が個性個性というけれど、まずは基本の型(カタ)を身につけ、真似て真似て真似ていく。その先に自然と出てくるものが個性なんだ」といったようなお話をされていました。
「学ぶは真似るから」という言葉もありますよね。型を真似る先に育っていくものが個性なんですね。
コツコツと自分のすべきことを腐らず、焦らず、丁寧に積み重ねていけばいいんだ!!そう思えたとき、少し道が開けたような気がしました。
こんなんでいいんだ
一時期なぜか、フリーランスの私に会いたいという大学生や若い女性が立て続けに登場した時期がありました。プチ起業とか、女性の起業が流行るうんと前の話です。今はそんなことはないかもしれませんが、当時、フリーランスや起業ということを意識していた若い女の人、少なくとも私の前に現れたそういう人は、どうも肩に力が入っていたような、物怖じしない、自分に自信があるような女の人でした。
そんな人はきっと、フリーランスで仕事をしている私のことを肩パットの入ったスーツを着たようなキャリアウーマンのようなイメージを持っていたのかもしれません(今だと、平野ノラかっ!!みたいな笑)
でも、目の前に現れた私は、そんなイメージとは真逆で、きっと肩透かしだったのだと思います、お目にかかった女の人の一人はおもわず「こんなんでいいんだ」とつぶやいたしまつです(苦笑)
こんなのでいいんです。
私はあなたになれないけど、あなたは私にもなれないから。
焦ることはない、個性はあとからついてくる。私の道を大切に丁寧に真面目に面白くしていこう、そのうちきっと私なりの味が出てくるはずだから。今は、そんなふうに思っています。
くじけるオンナ〜ブログが書けない。
くじけないオンナ。
「くじけないオンナ」というブログのタイトル。これは2002年から2年間、リビング北九州さんで連載させていただいたコラムのタイトルとして使っていたものです。
誰かを取材して記事を書くということではなく、自分のコラムとして連載させていただくことは初めてだったこと、さらに自分でつけたタイトルだったので、とても思い入れがある言葉なんです。
じつは、「くじけないオンナ」というブログは2008年から書いていました。
しかしながらミーハーな内容になってしまっていたため、一度リセットして新しく作りなおそうと思うに至ったわけです。
で、ちょっとまじめに取り組んでみようかなと思い、ブログの達人という講座を受講しました。達人というだけあって、雰囲気は和気あいあいとしていましたが、内容は「何のために誰に、何を書くのか」「検索されるように書く」などなど本気度の高いビジネルブログの講座でした。
くじけたオンナ。
結局その講座には2回しか参加できませんでしたが、私は、その講座から2つの衝撃を受けました(というより衝撃が発覚しました)
1つは、くだらないとはいえ自分が何年も書いていたブログは、いわゆるブログサービスというもので、簡単に言えば、サービスを提供している企業に間借りをしていたブログで、その企業がサービスを停止すれば私のブログも終わってしまうものだったということ。
独自ドメインを取得していたし、サーバー契約もしていたので、独自のブログだと思っていたというか、そういうことをまったく意識していなかったのでビックリ!!でした。そしてすすめられたのがWordPressでつくる自分のブログです。
ところがこのWordPressが私には難しかった。
そうしてもう1つの衝撃、それは、日記ブログはダメだということです。
もちろん全てのブログでダメだということではなく、ビジネスブログで日記はダメ、正確に言えば、ビジネスブログは日記ではないということなんですね。
そりゃそうでしょ、ですが、ブログってとかく日記になってしまいがちだと思います。私が以前書いていたブログも最初こそ、読者を意識して書いていましたが、だんだん自己満ミーハーブログになり、そのうち近況報告的な日記ブログになっていました。
ビジネスブログは有益な情報を提供するもの。情報を求めている人への回答、、、だそうで、この考え方でいくと、私がこれまで書いていたブログはダメダメなブログだったわけです。
WordPressが難しい。
私が提供できる有益な情報ってなに?
この2つの課題の前に、くじけないオンナというブログをリニューアルしようと意気込んでいた私は、くじけたオンナになっていました。
さらに、くじけているオンナ。
WordPressが難しいことに関していえば、講座で教えてもらったサイトを参考にしたり、グーグル先生に質問しながら、なんとか立ち上げまでこぎつけました。(だからこのブログが存在しています)がしかし、タイトルがおっきすぎたり、書体がダメダメだったりして、まだまだ改善の余地がありすぎるのですが、改善するまで待っているといつまでたってもブログをスタートできないということで、見切り発車。
そんなことより、WordPressより難しかったのは、私が提供できる有益な情報ってなに?という課題です。
オーバーに言えば、この課題が分厚い壁となって、私の前に立ちはだかっていて、現状の私はくじけているオンナ。何をくじけてるかってブログの更新をくじけているわけです。更新をくじけるもなにも、まだ1記事しか公開していないのですが、下書きはいくつかあるものの、「はたしてこの記事は有益な情報を提供できているのか。日記になっているのでないか」というもう一人の私があらわれて更新をためらうくじけているオンナになってしまっています。
ひらきなおったオンナ。
そうやって、今年の1月1日に再スタートしたブログは、本日1月31日まで更新されないままだったわけですが、1月最後の日の今日、こうやって更新しています。
なぜ更新できているか、それはひらきなおったからです。
日記になるとダメだなぁ、有益な情報を提供できるのかなぁ、、、なんてことに陥っていましたが、考えてみれば、ブログ講座を受ける前まで、私のなかにはビジネスブログを書こうという発想はまったくありませんでした。
一番最初、2008年にブログを始めた理由は、連載が終わり、何か自分で自分を発信する場が欲しいと思ったからで、それはクライアントさんの意向や課題解決に左右されない私自身の自由な場を持ちたかったから。
日記ではなく有益な情報を提供する、、、という課題に勝手にがんじがらめになって更新できないなんて本末転倒だ!! そもそもブログを書いたからって、そうそう見られるものではない。1記事2記事で検索にひっかかるわけでもない。こんな恥ずかしい記事を書いてなんてあとで思ったら削除だって編集だってできるのがブログの良いところ。そうひらきなおったオンナは、今、こうしてダラダラと書いているだけのブログを更新することができています。
やっぱり「くじけないオンナ」
じつは、この「くじけないオンナ」、このタイトルでは、このブログが誰を対象にしているのかわからない、このタイトルでは検索されない、、、と言われました。
まあね、たしかにビジネスブログとしては失格なタイトルなのかもしれません。
でもね、いいんですそれでも。私はこのタイトルが好きだから。それでいいと思うんです。
なんだかもう、難しいことは考えず、かっこつけず、今の私が書けることを、書きたいことを素直に書く、そんなブログにしていきたいと思います。
というわけで、誰に言われたわけでもなく、ひとり相撲をとっていたブログに関する私の壁は、そんなこんなで乗り越えたということにして、くじけないオンナを書いていきたいと思います。(結局日記のようなブログになっている)