「日記」カテゴリーアーカイブ

仏眼を持つオンナ。

このブログ。ヘッダーのタイトル文字と記事のタイトル文字の大きさや書体と本文の書体と行間を変えたいのだが、やり方がわからずにそのままになっている。
もうこれは、プロに頼むしかないのかなぁと自分で手を入れるのをあきらめつつあるのだった。

さて、先日、生まれて初めて手相占いというものをしてもらった。
お手伝いしている手仕事チャリティーイベントになぜか手相占い師さんが出店されていたのだ。
おしゃれな手仕事ワークショップやおしゃれな食べ物飲み物のマルシェのなかで異彩をはなっていた手相占い師さん。怪しげだ。
雑誌やテレビやインターネットの占い(しいたけさんとか)は見るのだが、生で占い師さんに占ってもらった経験のない私は、興味半分怖さ半分で、しばらく占ってもらうことを決めきれなかった。がしかし、意を決して占ってもらおうとそのコーナーに行ってみると、なんと9人待ち!! しかも、予約がわりのトランプカードを配っているらしく、それも残り1枚という人気ぶり。なんとか最後の1枚のトランプをゲットした

それから何時間たったのだろうか。占い順番ラストの私の番がやっときた。怪しげな占い師さんの前に座ると、あらあらなんともお優しい方で、いっきに気持ちがなごんだ。
で、私の手相である。どうやら仏眼というものと太陽線というものがあるらしい。これは良い相らしく、手相から見てわたしは成功を約束されているらしい(笑)
何を持って成功なのかはわからないのだけど、とにかく成功を約束されているのだから自分の未来は明るいと信じ込もうではないか!

そして注意事項として教えてくれたのが、自分に自信がないことらしい。当たっている!当たっているよ占い師さん!! 私は自分に自信がないのだ、自信なんて持てないのである。「人のことは気にしないで、おおらかな気持ちで、自分を信じて自分の道を歩めばいい」とアドバイスしてくださった。
そして、「自分の手相を見て、私は成功するんだと自信を持ってください!自信がないときは自分の手相を見てください! 」と力強い言葉をかけてくだっさった。

で、仏眼。仏の眼と書いてブツガン。仏像好きの私には、ありがたく、うれしく、ファッホーとなる文字。なんとも縁起の良さそうな、不思議な力でも備えているような、水戸黄門さまの印籠のような響きがあるではないか。仏眼をさずけてくだっさって、こ先祖さま、おじいちゃん、おばあちゃんに感謝感謝である。

というわけで、私は成功するらしい。
そしてこれからは、自分の手相を見ることが増えるかもしれない。
私がもし自分の手のひらをジッと見ている場面に遭遇したら、「コイツ自信を持とうと念じてるんだな」と察していただき、そっと見守っていただければ幸いです。

思考した1月。たのしくなあれ2月。

のろまな亀の歩みのように終わったような気がする2019年1月。
亀のような歩みのなかで考えることも多かったように思う。

一昨年からお世話になっている先生と会い、お話を聴き、思いを巡らすことが多くなった1月だった。まだまだ解は出せないのだけど、永遠に解は出せないのかもしれないのだけど、一歩でも1ミリでも想いを、暗黙知を、言葉にしたいという気持ちが今まで以上にむくむくとし、そのことにわくわくもした2019年の1月だった。

ずっと気になっていた編集という仕事。その道のど真ん中にいる方のお話を聴き、言葉をかわすこともできた月でもあった。心のどこかで私の仕事は、私がしたいことは翻訳ではないかと思っているところがあり、翻訳と編集ということがもしかすると私の仕事を表す重要な言葉なのではないかとぼんやり思っていた。以前は編集といえば松岡正剛さんと思っていたのだけど、今は注目されている編集者さんが何人もいて、そんな方々が出版されたり講演されたりで引っぱりだこのように見受けられる。これもまた時代を象徴する、今の時代が求めていることなのだろうと思う。

先生といい、編集者の方といい、その道で真摯にきちんとお仕事をされている方は奥が深いとつくづく感じた1月でもあった。全国区の方だからすごいということではないのだろうけど、その道で知られる人は、それだけの理由があるわけで、地方で声高に語るだけの人とは違うということを話を聞くと思い知らされる。安直にひとことでいえば本物は違う、のだ。関東のすごいところは、そういう人がうじょうじょいるということなのだろうと思う。面白い人、本物がたくさんいるからその化学反応で面白いことが生まれ、本物が育つ。本物に鍛えられた人たちがまた本物になっていく。その連鎖がうまれる構造があること自体がすごいことなのだろうと思うのだ。地方創生とかなんとか言われながらスタートアップイベントやそのほかいろいろなイベントや事業が行われているのだけど、本物の連鎖みたいなものがまだ起きていなくて、ニセモノっぽいヒトモノコトばかりがプツプツとうまれては勘違いに包まれた小さな世界の中で井の中の蛙になっている。そんな印象がある。ニセモノもそのうち本物へと育っていけば良いのだから、へんな縄張り意識はとっぱらって本物の連鎖に育つように心をオープンに発想をひろくすれば良いのになぁ。枠組みにとらわれすぎてはいないだろうか。そんなことが頭をかすめた1月でもあった。

否定からはいって可能性の面白さの枠を決めつけるのはもったいない。まずは肯定からはいってみようよ!と自分の中の壁をわたしなりに外すことを意識してみたら、あらあらなんだか不必要なこだわりがちょっとはなくなったような気がする2019年の1月が終わった。

さて2月。私の2月たのしくなぁれ。